松山から車で30分!江戸や明治の面影を残す町並み・内子町
台風22号が高知の沖を通過した10月29日に、内子のまち歩きに行ってまいりました。往路では台風らしい風雨でしたが、幸いにも昼食後に内子に向かう頃には既に土佐沖を通過し、曇り空ながらも雨はあがっていました。
内子の漆喰壁の特徴は、淡い黄色をしていることです。各々の住宅に昔ながらの特徴が残されているため、まち並みに非常に統一感がありました。
「木蝋(ろうそく)」で栄えた内子町
重要文化財の上芳我(かみはが)家住宅です。江戸時代から明治時代には木蝋生産(※)で栄えた商家です。現在は、当時の工程を紹介する木蝋資料館となっています。
※木蝋(もくろう)生産・・・ハゼノキという植物の実を原料とした蝋燭(ろうそく)の生産。
同じく重要文化財の本芳我(もとはが)家住宅です。先ほどの上芳我家の本家にあたり、やはり木蝋の生産で財を成した豪商でした。鏝で漆喰を塗り重ねて造る鏝絵をはじめとした、様々な意匠が美しい建物です。
内子の町並みの中で最も古い民家の一つ、重要文化財の大村家住宅です。江戸時代の建物を、平成21年から24年にかけて復元したそうです。
うだつのまち並み同様に、二階の窓は虫籠窓(むしこまど)(※)となっています。
※虫籠窓・・・建物の二階部分の窓が格子状になっていますが、これは窓の形が虫を入れる籠に似ていることから「虫籠窓(むしこ窓)」と呼ばれています。木を使った窓や練り土に漆喰を塗って堅牢に造り、本来は盗難除け、また部屋の明かり採り、風通しを良くするため等の理由で造られました。しかし時代とともに、次第に装飾的な面も兼ねるようになりました。
現役の芝居小屋、内子のランドマーク・内子座へ
内子のランドマーク、内子座。まち歩きのコースの終点です。
大正5年に建てられ、映画館に改装されることを経て、昭和60年に復元後、劇場として再オープンしました。2016年には、創建100年を迎えたそうです。
当社の創業初期から、共に様々な時代を経て、今も現存していることを思うと感慨深いです。
…そして何処となく、同じ愛媛県の道後温泉の雰囲気に似ている気がするのは、私だけでしょうか?
観光客に向けた案内板があちこちに見られました。
まちの中心部では、ちょうどイベントが終了したばかりで、イス、テーブル、照明器具などを撤去作業を行っていました
趣のある民家はギャラリーや喫茶、ゲストハウスなどに改装されつつあり、近いうちに外国人観光客が大挙して訪れるような、観光地としての更なるステップアップの空気が感じられました。日本の近代の様子をきちんと保存しながら活用する、このまちの今後の発展がとても楽しみです。
(参考資料:内子町観光協会パンフレット)
[執筆:スタッフF]