重要伝統的建造物保存地区に選定されている町並み・竹原

昨年末に、広島県の竹原市竹原地区を訪れました。ここは、重要伝統的建造物保存地区に選定されており、街区全体の広範囲にわたって、漆喰を使った多くの建造物が往年のままの様子で保存されていました。

裕福な商人の町として栄えた一方で、緩やかな山の麓の道沿いには寺社もあることから、門前町という面も持っています。

 

「道の駅たけはら」~町並み保存地区へ

まずは「道の駅たけはら」から出発です。

一見地味な建物ですが、竹のモチーフや格子窓など、竹原らしさのあるデザインです。

そして、保存地区内で発見したマンホールの蓋の絵柄はかぐや姫(?)です。

 

では、さっそく保存地区に入ってみましょう。

竹原地区の歴史は、平安時代に京都の下鴨神社の荘園として開かれたことから始まりました。

 

豪商の趣向を凝らされた「漆喰」の町並み

港町としての歴史に加えて、江戸時代初期に始まった塩田開発による製塩は、街に大きな財をもたらしました。

写真は、曲線が独特のデザインの屋根に、うぐいす色の漆喰に菱格子の窓など、この一帯の中でもひときわ趣向が凝らされているのが松坂家(浜旦那)住宅です。ちょうど街並みの中心部にあります。製塩業や問屋業での当時の豪商として栄えた様子が窺えます。この1階部分の壁にみられる、下のほうが木の板張りになっている建物をこのエリアではよく見かけました。

次に、この竹原地区で現在、最も有名な方がこちら。
NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴正孝氏と奥様のリタさんの銅像(写真左)。左の碑には「よいウヰスキーづくりにトリックはない」と刻まれています。
その生家である竹鶴酒造は、さきほどご紹介しました松坂家住宅の斜め向かいにあります。

こちらは、松坂家住宅とは打って変わって、黒漆喰の渋い建物ですね。堅牢、重厚な堂々たる雰囲気です。

竹鶴ご夫妻の像のすぐ近くにあるのが、竹原市歴史民俗資料館です。昭和初期に建てられた洋館です。こちらは木造ですね。

これは初代郵便局跡です。とても大きくて威厳があり、現在の郵便局とは全然違いますね!そして、竹原には黒漆喰の建物が本当にたくさんあります。

当時のとおり復元された郵便ポストは、現在も集配が行われているそうです。

中央と左の写真は街の中の飲食店とお土産処です。写真ではわかりづらいのですが、一つ一つの建物が大きく立派で、改めて裕福な町という印象を受けました。左側の写真ではなまこ壁、右側の写真では虫籠窓や格子があります。

 

写真左は県史跡となっている、江戸後期の儒学者、頼山陽の祖父の頼惟清旧宅です。この地域内に、頼家の家屋は数件あります。中央は頼山陽先生の像。下の写真は頼山陽先生の像がある公園入口の車止めのポストで、こちらも筍の形です。(笑)

 

最後に、街中で見かけたもの。

まず、写真左の水路の上を覆う竹のアーチですが、これは秋に行われたイベントでのライトアップに使われたもののようです。

そして右の写真ですが、町並みの区域内は側溝のグレーチングも木製のものでした。

【おまけ】

竹島市の忠海港から船で約15分沖に渡ると、そこでは...

こんな可愛い方々が歓迎してくれました。

寒い日だったので、身を寄せ合って暖を取っていました。

この大久野島では、約700羽のウサギが放し飼いにされており、島に降りると早速お出迎えしてくれます。竹島を訪ねる際は、こちらにも足を延ばしてみてはいかかでしょうか。

 

今回の竹島地区では、個性ある意匠が組み合わされた建物の一つ一つがとてもユニークで、その建ち並ぶ様子はまるで展示場のようでした。各家が張り合うように趣向を凝らした豪邸を造ったことを思うと、当時の竹原の繁栄ぶりが思われます。

 

高知を起点に各地の古い街並みに足を運んでいますが、繁栄の規模や気候によっても様々な特徴があり、街並みにも個性があることを今回は深く実感しました。改めて、今までと全く違った町並みも見てみたい気持ちが湧いてきました。

 

[執筆:スタッフF]